プロフィール

小さい頃から人に頼られ、頼まれごとはなんでも引き受けるしっかり者

こだま紀子さんは1952年、群馬県碓氷郡松井田町に4人姉妹の長女として生まれました。

父は信越線のアプト式電気機関車の運転手で、電車に乗るのが楽しみでした。しっかり者のお姉さんで、クラスではいろいろな係を頼まれ、家では妹たちの面倒を母親代わりに見ました。

高校ではホームルームで社会のこと、学生運動のことが話し合われ、「戦争はいけない」、「なぜ貧困と格差が生まれるのか」など社会に対して疑問を持つようになり、視野を広げていきました。

「一人ひとりの運動が歴史をつくる」と確信して日本共産党に入党

3人の妹弟たちのことを考え、学費の安い横浜市立大学に入学。学生寮では「ガリ切り手伝って」と声をかけられ自治会活動に参加します。女子寮長に選ばれ、新しい寮の建設時には学生のみんなで考えた部屋のプランをまとめて市当局と交渉して反映させました。

その後、文理学部学生自治会副委員長、神奈川県の学生運動をまとめる県学協書記長を務め、当時の田中角栄内閣が導入しようとした大型間接税反対運動で仲間とともに国会前行動に参加し声を上げました。横浜市長との交渉や200人の学生を集めた総会を成功させる中、「一人ひとりの運動が動かして歴史をつくる」と確信して日本共産党へと入党しました。

子どもの権利と尊厳を最優先に新日本婦人の会の専従職員の道へ

大学で中学校教員免許を取得し、さらに通信課程で学んで小学校教員免許も取り、横浜市の小学校で約2年ほど臨時教員として働きました。その後、「もっと個人を尊重する社会運動に関わりたい」と新日本婦人の会神奈川県本部で専従職員の道を歩み始めました。

誰もが輝く社会の実現へ、男女平等・反核平和・くあしを守る活動38年

中央本部では30年間働きました。全国各地を飛び回り、食の安全を求める声に応える「産直運動」や子育ての不安にこたえる「親子リズム小組」を手がけて広げました。また、JAL客室乗務員の解雇撤回争議の支援など、男女平等、くらしと社会保障、子どもと教育、原発と災害対策の分野で様々な草の根の運動を発展させてきました。「理不尽なことに黙っていられない。誰もが平等で、大切にされる社会をつくりたい」これがパワーの源です。

地域の願いをまっすぐに、粘り強く届けることができる人

「子や孫の世代が戦場で命を落とすことになるかもしれない。憲法9条改憲は許せない」と、足立区内でも女性・平和運動の中心を担っていました。

そんなこだまさんに「地域の声を区政に届けてほしい」と白羽の矢が立ちます。“頼れるおばあちゃん”として、お孫さんの子育て応援で三鷹市や船橋市を行き来する日々でしたが、「困ってる人に手を差し伸べ、命を守る政治を実現したい」と挑戦を決意しました。

すぐに現場に駆け付け、みなさんと力を合わせてがんばります

フットワーク軽く、元気いっぱいで地域を訪問します。記録的猛暑の昨年9月、隣家の大型エアコン室外機の熱風が自宅を直撃し、「暑くて生活できない。どうしたらいいのでしょう…」と相談を受けました。ただちに現場に駆け付け、被害実態をまとめて区に対策を要請。するとすぐに指導が入り、室外機を撤去させることができました。

いま、江北地域のエリアデザインへの意見、はるかぜの増便や日舎ライナーの混雑解消を求める声など様々な要望が寄せられています。力を合わせて願いの実現へ頑張ります。